中島省三の湖畔通信

雨あがる

2024/01/21

思っていたより早く雨は上がった。散歩の帰路、大門坂の遊心庵の門前のジュウガツザクラが最盛期を過ぎても小さな花を咲かせていた。小さくても桜の花は花と存在感を表していた。滴と花を愛でた。そしてデジカメのシャッターを押した。浜大津湖岸から見る雨後の琵琶湖を眺めホットした。夕方も湖岸へ水分を多く含んだ空気が、潤いを感じる素晴らしい夕景を見せてくれた。言葉はいらないと、静かにシャッターを押した。

雨の日の写真

2024/01/20

今年の冬は雪が少なく天気が崩れると大抵は雨だ。何時もなら雪景色を写真に撮ろうと早朝から三井寺へ向かうのだが、雨では意気消沈だ。でも琵琶湖にとっては恵みの雨ではと空を見上げた。三井寺の境内は観光客の姿も無く静かな佇まいで、林の中から鳥の鳴き声が聞こえるだけだ。以前咲いていた蝋梅も何処かへ移され梅の香りもなく寂しい限りだ。三井寺は桜が有名で他の花は脇役なのか山茶花も多く咲いているが雨の暗さに飲み込まれ華やかさがなく寂しい情景だ。でも春へ向けての準備が始まっているよと知らせてくれるシャクナゲの蕾を見つけ写真に撮った。そして赤い実を付けた千両が彼方此方で見られた。僕は今日、万両が赤い実を豪華に付けて石垣の上で存在感を表していた。意識して万両を見たのは初めてではとデジカメのシャッターを押した。蓮池に映る木々の枝を眺めて、今は冬だと感じるほど、季節感が薄れゆくのは地球温暖化の影響かと思った。

アートする飛行機雲

2024/01/19

今日は49日に一回の検診日で坂本のKクリニックへ向かった。数年前なら自転車で行っていたのだが最近は京阪石坂線だ。叡山坂本駅から徒歩で20分だ。検診を終え、何時もなら帰路はタクシーで鶴喜へ・・今日は鶴喜は定休日なので写真を撮りながら駅へ向かった。歩き始めて比叡山を見ると飛行機雲が幾筋も見えた。よく見ると飛行機雲を曳きながらジェット機が西へ向かって飛行しているのが確認できた。何でも無い坂本の新興住宅街も上空に飛行機雲が見えると近未来的風景に見えた。夕方近く、樟葉の妹からラインが入った。見ると樟葉の空の飛行機雲がアートしているように見えた。急いで自転車に乗って湖岸へ向かうと幾筋もの飛行機雲がバラけて大空のキャンバスにアート作品を描いてくれた。素直に美しいと感心しながら眺めていると、スエーデンの環境活動家のグレタ・トゥーンベリさんのことを思い出した。彼女は環境活動での移動手段は飛行機は使わないことで有名だ。おびただしい数の旅客機が大空で出す温暖化ガスは相当な数量ではと思った。飛行機雲をアート作品と賛美しながら写真を撮ったことを恥ずかしく感じた。美しく見える飛行機雲の負の部分を感じる写真が撮れればと思いながら地球温暖化による気候変動が心配になってきた。琵琶湖は水位低下が続いている・・・・

併読の楽しみ

2024/01/18

今日は朝から雨で、三井寺への散歩を終えたが湖岸ポタリングはお休みにして読書を楽しんだ。雨の日は外への誘惑が無く落ち着いて二冊の本を併読できた。本は1994年発刊時に買った「森羅映像」(吉田直哉著)と新刊本「列」(中村文則著)で読み始めて一週間ほどで毎日少しずつ読んでいるが今日は随分と読み進んだ。森羅映像の方は買ってから30年も立っているから映像の話としては古いのではと読みかけたが、コラム?エッセイ的な構成で読みやすく勉強不足の僕にはピッタリと思った。著者の吉田さんはNHKでドキュメンター番組や大河ドラマの演出で有名だが本を開くまでは気が付かなかったが流石内容が楽しく直ぐにでも読み終えそうで半分以上も進んだ。列は小説なので、すらすらと読めると思っていたら考えてしまうと読むのが止まる、人間の心理的描写に感心するからだ。第二部 猿 を読み始めると、併読してしている森羅映像の人の心理を描いた部分がリンクして、一瞬何方の本かと思った。人間という動物の完成度は低くまだ発展途上なのだと・・・・。そして買ってから30年も経ってから読む本に時間の流れを感じないのは何故と思いながら本を閉じた。

雲に魅せられて

2024/01/17

毎日、湖岸ポタリングで琵琶湖へ向かうのは湖上の雲を見るためだ。少年時代から好きだった飛行機にも親しめ、大空が身近になった。小型飛行機を操縦して空を遊び場としていた頃は雲は友達のように・・・でも相手をしてくれるのは、小さな積雲だけだ。他の雲は高度も高く小型機では友達になってもらえない巻雲や高積雲は3000メートル以上にあり小型機では3000メートルがやっとだった。年老いて飛行機に乗ることもなくなった今、湖岸から見上げる大空の雲の魅力が最近ようやく少し分かるようになったと思うこの頃だ。地球を取り巻く薄い空気の層の中で起きる大気の循環がなければ生命は保てない、そして大海の水の循環と一体化した素晴らしいシステムが作動しているから生命体は活動出来ていると教えられたが、分かっていることは僅かの事しか解明できていないと言われている、今日も湖岸から眺める雲の情景は奇跡と思わざるを得なかった。毎日、見る雲の姿も二度と見ることの出来ない風景だ。日常だって同じ日は二度と来ないと思えば愛おしさが湧いてくる、今日も雄大で奇跡的な雲が描く超大風景の迫力は只々凄いと眺めるだけで言葉を無くした。

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