カメラは電気製品
2025/04/25
僕はカメラの説明書を最初から読んだことがないがデジカメになっても殆ど読まずに使用できた。最近デジカメの使用方法を詳しく知ろうと何気なく使用説明書を開くとカメラは電気製品ですと確りと記されていた。有名なミノルタも今ではソニー製だ。友人が亡くなる前に託してくれたソニーのデジカメa7は電気製品だと思ったのはアダプターを介して古いレンズを付けると作動しなくなり何回もデジカメのスィッチを入れ直さなければならない、そして使用できなくなることもあるからだ。機械式カメラのニコンやライカは電気製品では無いので作動不良を起こすこともなく今でもフイルムを入れれば使用可能だ。今日の朝の散歩でも電気製品のデジカメが誤作動して撮影に時間がかかった。アナログ時代のレンズとデジタルカメラの相性は悪く撮影するにもストレスを感じるのは正規の使用方法ではないのが原因だが素直にデジタルカメラに従えないから問題が起こるのは分かっているがデジタルAI万能時代に少しでも抵抗して行きたい気持ちは続けたいと自分のスタイルで写真を取り続けるつもりだ。
爽やかな風に吹かれて
2025/04/24
琵琶湖が一番良い季節を迎えた。爽やかな風に吹かれて青空の下で琵琶湖の写真を撮っていると現代のネットワーク社会の現実が嘘のように感じるが・・・今日、先日来から読んでいたユヴァル・ノア・ハラリが書いたNEXUS情報の人類史上下刊を読み終えた。ネット社会で起きる選挙問題やAIがもたらす影響で社会は大きく変化してしまった事を改めておもいしらされるな内容に少し虚しさと重苦しさを感じた。想像以上にAI化が進んでいる現状では何時何が起こっても不思議でない社会に暮らしている事を自覚しなければと思った。コンピューターが繰り出すバーチャル世界が真実になる世界がアナログ的現実が覆い隠されてしまうのではとAIが発達する未来社会には不安しか感じないが、でも生きて行かねばならない未来の人達が心配だ。明るく気分が晴れそうな好天の日に憂鬱さを感じるのは早すぎる文明の発達に心がついて行けないからだと思った。
立てば芍薬座れば牡丹・・・
2025/04/23
立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花は美人を形容した言葉として有名だ。牡丹は女性が一番優雅に見える座っている姿の美しさ讃えた言葉だ。そんな例えの牡丹の花が咲き始めたのは三井寺の境内に在る牡丹園だ。専属の庭師が管理する牡丹園には色んな名前が付けられた牡丹の花が美しさを競う姿は春のフィナーレに相応しいと思った。今日はひと足お先に牡丹園を訪れた。庭師が丹精込めた牡丹の花が咲き始めた此の場所は三井寺の楽園のように見えた。優しい春雨が一段と花の美しさを際立たせていた。今週の週末には開園される予定だ。
坂本叙景
2025/04/22
坂本へは以前は自転車で向かうことが多かった、でも数年前からは殆ど京阪電車石坂線を利用する、坂本観光の拠点と言える立派な駅舎だが係員が常駐しなくり寂しい駅となった。今日は坂本のKクリニックへ行くのは何時も電車だ。駅を出ると日本最古の茶園?は道路改修のために少し移動していた。すっかり美しく整備された佇まいには歴史を感じなかった。狭かった道路は拡張工事で広くなった光景に少し違和感を感じた。大津絵が描かれたお店も出来ていた。検診を受け終えての帰路は鶴喜で昼食をするのだが混雑していたので駅の近くの蓬餅のお店で蓬蕎麦を食した。初めて食した蓬蕎麦は美味しかった。京津線の車窓風景は帰路の楽しみだ。田園風景が美しく広がっていた光景は消えた。住宅が立ち並ぶ眺めの中に小さな田んぼが見える車窓風景に今の日本の米問題が重なって見えた。米の生産量も少なく需要が多くてはこの先も米は高い値段のままではと家が立ち並ぶ田園風景をデジカメで撮った。
青空写真
2025/04/21
湖畔に佇んで琵琶湖と青空を見ているとイブ・クラインの青の芸術作品を思い浮かべた。雄大な自然が創ってくれる光景は芸術を超えた刹那の時間ではと・・・(今日も文章は短くしか書けなかった、こんな時、チャットAIを利用して写真を見せたらいとも簡単に感想文を書くだろうなとおもうが僕はAIには頼りたくないと思っているから此れで良いのだと思った。)