ビワコイ祭り?
2023/09/09
9月に入り湖岸ではイベントが始まった。今日から大津市が社会実験として大津港の新しい過ごし方・使い方を再発見!と銘打った企画イベントが浜大津港一体で開催された。湖岸ポタリングで浜大津港へ寄ってみると準備中で関係者が忙しく動き回っていた。お天気は暑さも和らぎ絶好のイベント日和となった。昼食後、浜大津港のイベント会場へ向かった。以前には大きな舞台を組み立て目立ったが今回は舞台もコンパクトになり規模は縮小されたイメージだ。僕には社会実験なる企画の全貌が見えず、何とか祭りの続きの様な会場の雰囲気を感じながら写真を撮った。湖岸側には現代の露店と呼ばれるゲーターリングカーがずらりと並ぶ姿もお馴染みで新しさを感じなかった。緑地にはテントが張られ出店が飲み物らを販売していた。大きなエアーで膨らました像を中心に遊具があり多くの家族連れが並んでいた。それなりに人集めは成功しているのではと思った。でもマンネリ化した行政発のイベントには僕は魅力を感じなかった。以前は京阪レークセンターがあり、夏はプール、冬はスケートリンクがあり浜大津港はそれなりに賑わっていた。今日もイベント会場からアーカスの建物を見て、去年閉館した映画館アレックスシネマも其のままで寂しい佇まいだ。日常は何もない静かで寂れた佇まいが売りの浜大津港では賑わいを創出するのは難しいとおもった。僕は静かな佇まいのお陰で毎日、琵琶湖の広い空間で大気の流れを感じられるだけで幸せだと思っているから別に賑わいが無くても良いと考えてしまった。
蝶を撮る
2023/09/08
蝶を撮ると言っても態々遠くへ出かけたわけではない、湖岸ポタリングへ向かう途中で大津絵の道を通った時、黄色い花に遊ぶアゲハチョウを見つけ偶然に撮れたのだ。インスタグラムの友達の写真を見ていると小鳥や昆虫の写真の上手さに驚いて見入ってしまい僕の写真など問題外と思う時もある、撮影を職業としてやってきたがお金を頂いて仕事で撮影する時だけがプロで、日常で写真を撮るのは趣味やライフワークだから気楽に何でも撮れるから毎日が楽しい写真日和だ。今日はキアゲハとクロアゲハに出会うなんて、なんと幸せな日だろうと感謝しながら蝶を撮らせてもらった。少し欲張ったと反省しているのはスマホとデジイチで撮ったから、スマホにはクロアゲハの良いショットが撮れるもデジイチでは撮れなかった。明日はデジイチだけで蝶を撮ろうと思った。
蝶の写真はトリミングして掲載しました。三枚目は明日から始まる浜大津のイベント準備風景
にぎわう大津港へ・・・
2023/09/07
今朝、新聞(朝日)を開け滋賀版を見た、大きな見出しで、にぎわう大津港へ社会実験が目に入った。相変わらずの記者クラブの行政発のニュースだ。内容は大津市都市都市魅力創造課の企画イベントではないか、やることは以前に開催したイベントの再来と思うようなビアーガーデンやジャズフェスティバルそして台船を浮かべて湖上カフェや湖上マーケットと以前見たイベントでは目新しさを僕は感じなかった。毎日、湖岸ポタリングで通る浜大津港や緑地は静かな佇まいで雰囲気もあり静かな湖畔の公園として此れで良いのではと思った。イベントで賑わうのはその時だけの賑わいだ。そして琵琶湖観光の拠点は浜大津港ではないと思うのは既に彦根や長浜そして今津からは広大な琵琶湖の北湖が望め本当の琵琶湖が味わえるからだ。浜大津港から出る観光船は大津の湖岸を取り囲む高層集合住宅群の衝立を湖上から眺めるだけでは琵琶湖の良さなど分かるはずがないのでは、寧ろイベントなどに頼らず浜大津湖岸からその日の天気の移ろいで見せる琵琶湖の表情を愛でた方が良いのではと思った。
天声人語を・・・
2023/09/06
今朝、朝日新聞の天声人語を読んだ。そして松野博一官房長官の関東大震災での朝鮮人虐殺問題での発言に言葉をなくした。発言は「政府として調査したかぎり、事実関係を把握できる記録が見当たらない」と言った松野官房長官の発言は、本当に日本の戦後史を勉強したのだろうか、大学では何を学んだのかと、日本の政治家の資質の悪さに呆れるばかりだ。NHKがドキュメンタリー番組で関東大震災で起きたデマによる朝鮮人暴動の事実は詳しく番組で語られていた。デマと知りながら政府機関が全国に情報を流したことまで伝えていた。もちろん新聞やメディアまでがデマを報道した歴史は誰もが知っている事実だ。戦争問題でも悪い部分は未だに認めず隠蔽する姿勢は日本の政治スタイルでは世界に通用しないと思っている市民は多いと思った。何だか朝から気分の悪い日となった。そして気分が和らいだのは夕方、雨後の素晴らしい琵琶湖を見てからだ。
軽くなった写真
2023/09/05
久しぶりに階下の本箱を見ていると「プルースト/写真」ブラッサイ著が目に止まり午後の暇な時間に読み始めた。ブラッサイはパリの夜の写真で有名な写真家でカメラが大型でフイルムの感度も低く夜の町での撮影は難しかった時代に活躍した。そしてプルーストと言えば長編小説「失われた時を求めて」で有名なフランスの小説家だ。読み始めた本は、プルーストは写真好きでコレクターで有名な人と交流した際に写真を交換することらが書かれた内容は面白く直ぐに読み終えそうだ。写真が重さを持っていた時代背景は人がアナログでコミュニケーションをとりながら生活していた社会は時間がゆったりと流れていたのではと思った。スマホやデジカメで誰もが簡単に撮せる時代ではなく、写真館で写真を撮るのが普通で、しかも裕福な人たちが装いを凝らして撮る肖像写真的なものが殆どだった時代だ。僕の少年時代も写真を撮るのは一年に一回、近くの写真館で撮っていたが、中学生の頃にはカメラの普及もあり写真館に向かうことはなくなった。でも我が家に残っている写真も写真館で撮った写真が一番存在感がありアルバムの中でも写真の重さが光っている、そして母の写真は何故か写真館で撮った少女時代から大人までの写真が数枚在る、その写真を見ているとスマホやデジカメで撮った写真の軽さは何ともし難いと見飽きてしまうのは何故と・・・時間の定着が短いからかと思った。今日も軽い写真を多く撮った。今日は少し反省する日になった。スマホやデジカメで写真を撮る回数も少なくしようと考える日となった。