中島省三の湖畔通信

暖冬の比良山を見て

2024/01/05

近年は暖冬傾向が続いている、スキーをやっているいる頃なら山を見て嘆いたかも知れないと、三井寺の展望台から比良山は眺めた。僕がスキーにハマっていた頃は比良山系の武奈ヶ岳では3メートルを超える積雪は何度も体験した。下手な山スキーで転けまくっても怪我をしなかったのは大雪のお陰だと振り返った。マキノスキー場から赤坂山へのツアースキーも楽しい思い出だ。山スキーの必需品のシールは今はナイロン製となり殆どが貼り付けシールとなった、当時はスキーに紐で取り付け、面倒な作業で登攀中はシールとスキーの間に雪がたまり大変だった。でもアザラシ皮製のシールは抵抗が少なく楽だったような気がする、でもナイロンシールも性能が良くなりテレマークスキーや山スキーには欠かせない道具となっり、ナイロンシールを重宝した。山スキーそしてゲレンデスキーが上達したのは二人の先輩がいたからだ。山スキーの師匠は沼田さんでゲレンデスキーは上延さんと二人に指導してもらったからスキーを楽しめたと雪の少ない比良山を眺めた。

時雨と虹

2024/01/04

今日は朝から時雨模様、外へ出て空を見上げると青空も見えるが雨が少し降っていたのでストックを傘に変えて三井寺へ向かった。観音堂から琵琶湖を眺めると青空に積雲がある迫力在るパノラマを楽しんだ。境内を少し歩くと雲が出てきた。比叡山方向を見ると虹の気配を感じた。急いで帰宅、自転車で湖岸へ向かった。もちろん虹を撮るためだ。湖上に架かる虹の大橋を期待していたが見ることはできなかった。でも虹を見ることができ気分は少し明るくなった。テレビで羽田の航空機事故関係のニュースを見ていると、小型機を操縦していた時の事を思い出した。昼間なら事故は起きていなかったと思う、日航機の機長も滑走路上に海保の飛行機を見つけゴーアラウンドを告げて復航していたし、海保の機長も着陸進入してくる日航機を視認できたいたと思う、一番人間の目が弱くなる夕方から夜にかけての時間帯は危険がいっぱいだと教官に教えられてことを思い出した。そしてタワーとの無線交信は煩雑で僕らの時代は大変聞き取り辛かった、無線用語は短く操縦しながら応答するのは大変だ、ファイナルに入ると着陸の為に集中しなければならずタッチダウンまでは緊張の連続だ。まして大型機となれば小型機の様に身軽な動きはできないからとおもった。今回の事故は管制官、とパイロットとの意思疎通そして時間帯が影響したことも確かだと・・夜間飛行の訓練で名古屋空港で離着陸は昼間よりも遥かに難しく周囲が確認できず滑走路だけが見え、昼間なら周辺の状況まで把握できるが夜は情報量の少ない中での着陸は難しいと思った。事故で亡くなられて方々のご冥福を祈った。

正月三日目の災難は

2024/01/03

元旦は北陸能登で大地震が起き、二日目は羽田の航空機事故、そして三日目は僕が災難に出会った。自転車で西大津の閉店迫るイオンのカメラの北村へ向かう途中、車道から歩道へ自転車を乗り上げるときに転んだ、スピードは出ていなかったが転倒した。ゴッンと頭を打つ音が聞こえ
たが意識はありすぐに立ち上がって、腕と足そして左足の人工骨頭はと点検した。腕も足も股関節も異常ななしでホッとした。少し痛みはあるが受け身をしたこともあり痛みを少し感じただけだ。最後に頭のヘルメットを脱ぎ確認すると左サイドに少し凹みと傷が見られた、ヘルメットを着用してなかったらダメージを受けていたのではと思った。やはりヘルメットは重要だと再認識した。今年は自分の心にも非常事態宣言をしなければと思った。そして来たり来る異常気象の災害は必ず来ると覚悟しなければと自転車を起こした。

航空機事故

2024/01/02

元旦に続き今日は羽田での航空機事故が起きた。久しぶりに大津セブンシネマでヴィム・ベンダースの最新作パーフェクト・デイを見て心をリフレシュして帰宅した。家人から羽田空港で日本航空機と海上保安庁の飛行機が事故を起こし大変な事になっていると知らされ慌ててテレビの画面を見ると航空機が炎上している様子が見えた。乗客は無事脱出したとニュースは伝えていた。空中衝突で無かったことが幸いだったと思いながら海上保安庁の飛行機の方には犠牲者が出た事を残念だと思いながらニュースを見た。そして方丈記を思い浮かべた、災害や事故が続いて起きている状況は人の暮らす社会の状況は鴨長明が記した方丈記は平安時代の後期の時代と違わないのではと思った。文明がいくら進んでも災害や事故は時代が変わっても起きるのだ、と覚悟しながら生きて行く事しかないと思った。映画パーフェクト・デイは刹那の美しさを描いた映画ではないのかと思った。エンディングロールの最後に木漏れ日の映像と言葉が流れた正しく人生は瞬間を生きていると思った。能登の地震そして羽田の事故で亡くなられた方々のご冥福を祈るしかないと黙祷した。

正月の地震

2024/01/01

目出度さもちう位なりおらが春、小林一茶の俳句を思い出すのが僕の正月元旦だ。長閑な気分で湖岸風景を撮っているときに石川県で大きな地震が発生していたとは知らずにいました。写真を撮り終えて帰路、自転車で走っているときだったので感じなかった。帰宅して家人が大きな地震が今あったと、そして皆がテレビの前で地震情報を見ていた。津波警報が出され北陸能登地方は大変な事態になっている現実が画面に映し出されことの重大さを確認した。原発は大丈夫なのかと一番に心配した。老朽原発は即停止しなければとおもった。地震に遭われた地方の方々の安全を祈る事しか出来ないが、早く地震が収まって欲しいと願った。

写真は12月31日三井寺の除夜の鐘風景、二枚目は三井寺の龍は左甚五郎作の伝承がある龍の彫り物。三枚目は今日の琵琶湖、撮影後直ぐに能登で大きな地震が発生した事を知った。何が起きるかわからない混迷の時代であることを自覚した正月元旦は地球からの危険シグナルとして受け止めなければと心が引き締まる年明けとなった。本年も湖畔通信を続けるつもりです、拙文と拙い写真のブログをよろしくお願いいたします。

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