ヒヨドリの巣立ち
2023/05/17
今日の午後三時、湖岸ポタリングから帰ると庭の方から小鳥の声がするのでデジカメを持って庭を見ると隅っこにヒヨドリの雛が心配そうに空を見上げていた。屋根上から親鳥の警戒音が聞こえてきた。親鳥がミミズの様なモノを嘴にくわえていた。ヒヨドリは巣立ちしても親鳥が自立するまで餌を与え続けると、以前パソコンで見たことを思い出した。うぶ毛が少し残った雛と羽は短いが元気そうな雛が2羽がいるのが分かった。親鳥は番でやってきていた。僕は雛の写真を撮って直ぐに屋内に入った。ガラス窓越しに静かに観察させてもらった。松の根っこや灯籠の片隅で心配そうな顔をしている雛鳥をみて、鳥たちも意外と表情が豊かなことに気づき同じ地球に生きる仲間だとおもうと親しみを感じた。時計を見ると五時を回っているが、雛鳥を呼ぶ親鳥の声がまだしていた。日がくれる前に親子で無事、山のねぐらに帰れることをねがってその場を離れた。そして僕はデジカメのデーターをパソコンに送る作業を終え階下におりて庭を見るとヒヨドリの鳴き声は聞こえなかった。無事、三井寺の山へ帰ったのだとおもうと嬉しくなった。
散歩写真
2023/05/16
今日は夏日と天気予報が伝えていた。空を見上げると爽やかな青空からは暑さを感じなかった。鹿関橋から疏水を見ると休業日で通船が繋がれたままだ。三井寺の境内も静かな佇まいだ。湖岸も静かだ。大津の街は静かな時が流れるだけ・・・・・
今日の写真は古いレンズをデジカメに付けて撮った。
エゴの花
2023/05/15
エゴの花を見るたびにチサノキや伊達騒動の文楽や歌舞伎を思い出すのは何故、伊達騒動が題材の文楽「めいぼくせんだいはぎ」は見る機会もなく時間は過ぎるばかりだ。文楽や歌舞伎を見たことがないのに「チサノキ」が出てくる事が記憶に残っているのは数年前にパソコンで調べたからだ。テレビか映画か定かではないが、伊達騒動の物語、「甲斐は死に樅ノ木は残った」?を見た記憶が、その時、樅ノ木は印象にあるがチサノキなどの記憶はなくエゴの木が有名な物語に関係している事を知ったのは数年も前の話だ。できれば歌舞伎、文楽でエゴの木が出てくる物語を見てみたいと思うこの頃だ。
続 千団子祭り
2023/05/14
千団子祭りの今日は二日目、残念ながら朝から雨ではお祭り気分にもなれなかった。千団子祭りは子供のお祭りで大人たちが騒ぐお祭りではなかった。5月15日16日17日と三井寺の護法善神堂で行われるお祭りは600年前の室町時代に始まった歴史あるお祭りだ。本尊は護法善神像(重文)が御開帳され、千本の団子が供えられているのは千人の子の供養と言われている、護法善神は鬼子母神で人間の児を奪って食す鬼神がお釈迦様の説法を聞いて改心して仏法を守る護法善神を祀っているのが護法善神社だ。そのお祭りが千団子祭りだ。以前の賑わいを知るものにとって今の寂れようは受け入れがたい現実だが、湖岸には衝立の様に立ちはだかる高層の集合住宅が出来た今、長年培ってきた地域の文化が壊れて行くのは時代の流れと諦めるのか、また新しいイベント文化として発展を目指すターニングポイントポイントであることは確かだとおもった。
千団子祭り
2023/05/13
今日は三井寺の千団子祭りだ。コロナ禍の三年間ですっかり祭りの様子が変わった。千団子祭りは5月15・16日と曜日関係なく執り行われていたが近年、5月の二週目土曜 と日曜日になった。以前は大きな植木や花木そして農家が野菜の苗なども売っていた時代もあった。近郷近在から多くの人が詰めかけた僕の少年時代の千団子祭りの賑わいの凄さから見れば今日、行われている祭りの寂れように驚くばかりだ。コロナ禍の前は植木や花木が並び露天も境内の彼方此方で見られたが今年はお堂前の広場に婦人会や有志、そして露天のテントが並ぶコンパクトな祭りとなった。子供向けのイベントが多く企画されたのは、千団子祭りは昔から子供の祭りだと言われているから、東側の広場はキッズイベントで、それなりに賑わっているが昔を知る者にとっては変化した祭りの形態に少し寂しさを感じた。
境内では三年ぶりにエゴの花が咲いてくれた。湖岸では琵琶湖文化館の工事が終わりお城の様な姿を表した。