中島省三の湖畔通信

偏西風の吹く湖岸

2024/02/01

今日も夕方、琵琶湖へ向かった。琵琶湖と言っても僕の住む大津市は琵琶湖の6分の1と言われている南湖が見える浜大津湖岸だ。遮るものがない雄大な眺めは毎日見ていても飽きることはない、躍動する雲を眺めるのが僕の日課だ。4時を過ぎると偏西風が強く湖面は波立ってきた。風が強い日は、僕はどうしても彼方の若狭の原発群が、特に高浜と美浜の老朽原発が気になってくる、最近,蒸気漏れの事故はニュースが流れていたのは高浜の老朽原発だ、大事に至らなかったから良かったが、もし大きな事故になっていたら偏西風に乗った放射能が琵琶湖までやってくるのに時間は掛からないと思うと怖くなった。能登の地震も想像を越えた災害が起きた。志賀原発も幸い事故にならなかっただけで、事故が起きていれば大変な事態になったのではと思うと恐怖が募るばかりだ。若狭の原発は老朽を含め全原発は停止して廃炉に向かうのが地震対策としても必要ではと雪雲の彼方を眺め不安を感じた。

雨の降る前に

2024/01/31

雨の降る前に湖岸ポタリングをと湖岸へ向かった。浜大津湖岸から琵琶湖を眺め、、雨の降る前の情景を写真に撮った。水分を含んだ空気が漂う湖上は何時もとは違い幽玄さを感じた。佇んでいると何故かビフォア・ザ・レインの言葉が浮かんできた。20数年前に見た映画の題名だ、邦題が雨の降る前に、だったと記憶しているが?マケドニア出身のミルチョ・マンチェフスキーが監督した映画はヴェネチュア映画祭でグランプリを撮獲っった作品で京都の映画館で見て、映画のサウンドミュジックCDまでも買った好きな映画だ。でもストーリーは定かでないが映像と音楽が浮かぶから不思議な映画だ、そしてもう一度見てみたい僕の映画、白い町で、に次いで見たい映画だ。そんな事を思い出させてくれた雨の降る前の琵琶湖の情景だった。

二枚目写真は浜大津港のガチョウが空を飛ぶヘリコプターに向かって叫んでいた。今は飛べなくなったが、昔は俺も飛べたんだと叫んでいるように見えた。

雲の美術館そして蜃気楼

2024/01/30

毎日、湖岸へ向かうのは琵琶湖上空の雲の写真を撮るためだ。僕は空を飛ぶことが何よりも好きで、自分で飛行機を操縦して大空を飛んだ頃が何時も湖岸に佇むと思い出すが比叡山の麓に在った飛行場は無くなった。もう飛ぶことはないが、やはり空が好きで、雲を眺めていると心が鎮まるそして時折、大空に雲の美術館が出現して色んな雲の作品を展示して楽しませてくれる、今日の夕方、湖岸を訪れると琵琶湖上空には巻雲や巻積雲そして高積雲とが織りなす見事な雲のアート作品を楽しんだ。琵琶湖岸ではもう一つの自然現象が楽しめる、それは蜃気楼だ。今日は蜃気楼研究会のTさんIさんが浜大津湖岸で三脚を立て望遠レンズを付けたデジカメで彼方の蜃気楼を撮影をしていた。蜃気楼には上方と下方があり冬はもっぱら下方蜃気楼が多いと聞いているが、お二人に聞くと今日は上方蜃気楼で琵琶湖大橋がZ型に変化したと話してくれた。上方蜃気楼は3月末頃から6月に掛けて現れるのが普通だが冬場に出るのは珍しいと教えてくれた。僕は雲を撮るためのワイドレンズで残念ながら蜃気楼は撮れないがTさんの双眼鏡を覗かせてもらい蜃気楼を見ることが出来た。冬場に上方蜃気楼が多く見られる様になれば地球温暖化による気候変動が心配になってきた。冬は下方蜃気楼が主体で在ることを祈りながら湖岸を離れた。

2024/01/29

鳶は僕の好きな鳥だ、羽ばたきもせずに飛翔する姿はグライダーを想像させてくれるが、鷹や鷲のように獲物を狩ることがなく、腐肉や残飯が主食でタカ目タカ科の鳥として低く見られているから気の毒だ?人間がそう見ているだけで鳶は気にしていないし上下の差別も鳥の世界にはないからと人間目線が恥ずかしくなった。そして腐肉や残飯を綺麗に掃除してくれるカラスと同じで人間社会のゴミを掃除してくれる益鳥ではとおもった。そして鳶は、時には湖上に浮いている魚の死骸を見事な低空飛行で足爪に引っ掛る技はタカ科の面目を保っているのではとおもった。そして鳶は何時も見られるから写真に撮ることはないが、今日は違った、湖上の杭に止まった姿はやはりタカ目タカ科のカッコいい鳥だと感じ思わずデジカメのシャッターを押した。

映像の時代

2024/01/28

一億総カメラマンの時代と言われる現代社会ではスマホで映像や写真を撮る人が殆どだ。僕はスマホでも撮るが、デジカメやフイルムで撮るのが好きだ。湖岸でもスマホで写真を撮って、実際の琵琶湖の風景を眺める人は少ない、まして湖岸に佇む人も少なくなった。風景を自分の脳に記憶するよりスマホに記録させる、それは外付けの脳ではと思った。料理やケーキらも食する前にスマホで撮るのが日常になったみたいだ。実物を見るよりデジタル映像化されたものをスマホ画面で見る方が本物の時代になったのだ。今日、読みかけの本「森羅映像」【吉田直哉著)を読み終えた。30年前の本だが、今も内容が古く感じないのは作者が映像の未来が分かっていたからだと思った。ドキュメンタリーについて語っている内容は今も変わることはないと思いながら読んだ。僕も琵琶湖をドキュメントした映像を何本も作ったが、レンズを通した僕の見た琵琶湖で、実際の琵琶湖とは別次元で、あくまでも映像は表現なのだと思った。本の最終ではマイノリティー・ウォッチングと題して少数派と多数派が変化する話で終わっていた。映像が氾濫する時代でも、キラリと光る素晴らしい映像を期待しながら未来へ向かうしかないと思った。

写真一枚目の疎水の桜の木が白く見えるのが気になった。

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