中島省三の湖畔通信

琵琶湖で見かける鳥

2023/02/06

毎日、湖岸ポタリングで走っていると、デジカメを持った人によく出会います。バードウォッチングが趣味の人は僕のカメラよりも数等上のデジカメに望遠レンズを付けています。時折、声を掛けると鳥の情報を教えてくれます。最近、パンダみたいな鳥がいると聞きました、写真を見せてもらうと本当にパンダの様でした。ミコアイサというカモの仲間だそうですが僕は一度も見ていないので、時々双眼鏡を持って出かけますが、なかなか遭遇出来ません・・・小学生とお母さんのバードウォチャーも声を掛けます、少年は鳥に詳しく僕にも教えてくれました。そして少年が、におの浜に大きなカモメがいるよと聞いたことを思い出し、今日、におの浜に来てみると桟橋の杭に一際大きなカモメが一羽留まっているのに気づいた。僕のズームレンズでは少し役不足だった。でも帰ってパソコンで調べると、オオセグロカモメと分かった。図書館に行かなくっても特徴を幾つか入れると答えが出るから利用することが多くなった。孤高のオオセグロカモメの写真と浜大津で人になつくユリカモメの写真を比べながら、僕は人に懐かないオオセグロカモメが好きになった。

フィクションの世界で・・・

2023/02/05

フィクション(小説)の中で起きている我が国の社会状況が現実の社会で起きている政治や社会状況があまりにも似ているのではと思った。小説「魔王」(伊坂幸太郎著)は2005年に単行本で発刊されたものを新装版の文庫を読んだ。魔王と呼吸の二部構成でどちらも今の政治状況を思い浮かべてしまうのは何故と考えながら読んでしまうのは現実がフィクションに近いからだと思った。憲法九条も既に骨抜きされた状態になっているのは確かだ。与党は巧みに国民投票に向けて見えない所で粛々と準備を進めているのではと思った。小説が書かれた時代から17年が過ぎた今、過去と現実が重なり、見えない力で蠢いているように感じるの思い過ごしだろうか?作者は意図して政治問題を小説化していないと解説にもあったが・・物語は大きな流れを個人の力で変えられるのではないかと思う男を描く中で、政治問題や情報に流される市民、憲法九条、国民投票と差し迫った、我が国の問題をも考えさせられる小説ではと・・今日読み終えた。テンポが良く、楽しく読める伊坂幸太郎氏の小説は僕は好きだ。

久しぶりの青い琵琶湖

2023/02/04

雲一つ無い青空が広がり久しぶりに青の世界を楽しんだ。そして青の芸術家イブ・クラインの作品を思い出した。湖岸から比良山系を見ると蓬莱山の雪も少なく感じた。雪の多かった時期の蓬莱山から打見山の東側には大きな雪庇が張り出し、迫力を感じる雪山を写真に撮った事を思い出した。蓬莱山から打見山はスキー場として開発され50年以上の歳月が流れた。最初はカーレーターが設置され、その後アルプスゴンドラ、そして今は100人乗りのロープウェイで10分も掛からずに打見山山頂に着く、京阪神から便利なスキー場として多くの人出賑わっている、一度、雪庇を見に行きたいと思っているが、暖冬では期待した大きな雪庇にはならい限り行くこともないと思った。そして2月に雪が多く山に積もらないと、春の雪解け水が少なくては琵琶湖の深呼吸に影響するのではと青空を見上げ雪を期待した。

節分の日

2023/02/03

テレビが各地の節分風景を伝えていた。毎年、眼にした光景ではと直ぐにテレビから目を離した。昨日、テレビのニュースで名古屋城の石垣が白くなった映像を見た。雪で薄化粧したように見える石垣や木々が白くなっている原因はカワウの糞で、堀には大繁殖したボラの大群が映し出され、そのボラを狙ってカワウの群れが名古屋城にやって来たらしい・・カワウの大群は以前、竹生島を取材した折に撮影したことを思い出した。ニュースでは専門家が時が経てば飛びつて他の場所へ行くまでの辛抱ですと語っていた。琵琶湖のカワウは竹生島から近江八幡や瀬田川へ場所を変え元気にくらしている、浜大津港の西の浮き桟橋にはカワウの学校があるらしく生徒たちが魚のとり方を学んでいると聞いた?打出浜湖岸ではカワウが休憩していた。夏姿と違い頭は灰色で昨日のテレビと同じ姿をしていた。におの浜ではトラツグミを見かけ撮った。帰路、商店街へ向かった。節分で何時もより人の姿を見かけた。そして丸二魚店で注文しておいた、焼き鰯を受け取りに寄った。店主が今年のイワシは焼いていても美味しさが伝わってくると話してくれた。店先の美味しそうな焼き鰯をデジカメで撮った。其の焼き鰯を夕食に食した、店主が言ったように近年の中では一番美味しく感じた。

天声人語

2023/02/02

朝日新聞と言えば天声人語と浮かぶ人は新聞を読んでいる人だ。今日の天声人語ではテレビを見る時間が少なくなった事を話題にしていた。筆者もテレビ時代に育った人ではと読んだ。残念ながらテレビに限らず新聞を読まない人も増え、毎月、新聞を購読する人も減っている現状だ。天声人語では新聞の現状は書かれていないが、新聞を止める人は多くなっている、僕の友人でも新聞を止めた人も何人かいる、親類縁者の中にも新聞を購読を止めた人もあるが、僕は新聞の購読を続けたいが、現状の朝日新聞には魅力を感じなくなった。滋賀版は読むに耐えないとページを捲る瞬間だけだ。僕の止めたいもの、テレビ、新聞、スマホ、此の3つが無くなっても別に困ることはないのではと思った。

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