去るモノ来るもの
2023/01/18
お天気が優れないと気分までもネガティブになると曇空を見上げた。三井寺の散歩は最近デジカメを持たずに出かけることが多くなった。冬場は撮るものも無いからだ。湖岸ポタリングも最近は休憩場所のカフェが無くなり、打出浜で引き返す事が多くなった。打出浜の琵琶湖文化館は足場が組み上がり、幕で囲われ始めた、そして屋根上の大トンボのあきつ君にも足場が組まれ、間もなく取り外される、あきつ君をデジカメで撮った。帰り道、疎水に掛かる北国橋から閘門工事の様子見ると、新しい閘門の扉の取り付け作業が行われていた。現代のAIテクノロジーを利用して製作された門扉なら簡単に取り付け出来るとおもっていたら、作業は手間取っている様に見えた。取り付けは人間によるアナログ作業だ。暫く見ていたが、カンカンとハンマーなどで調整しているが上手く出来ないように見えた。大きな門扉は以前のデザインの方が良かったのではとデジカメで撮った。クレーン吊るされた門扉はまた水平に戻され地面に降ろされた。電動化された閘門は観光通船が通る度に開閉されると聞いている、頻繁に開閉して故障しないのかと心配するのは余計なことだと北国橋を離れた。
最近、読んだ小説、今読んでいる小説
2023/01/17
僕の読書は気の向いた時に一時間から二時間までの短い時間だ、何時も行く中井書店の店主が伊坂幸太郎の「シーソーモンスター」を注文した訳でないが僕が伊坂幸太郎の小説が好きなので取り寄せておいてくれたので買った。今までの小説とは少し趣向が変わっていた。8作家が「共通のルールを決めて、原始から未来までの歴史物語をみんなでいっせいにかきませんか?」と伊坂幸太郎氏が呼びかけて始まった8作家による競作企画の文庫本を読んだ。全部の作家さんを読むつもりはないが・・・まず最初に伊坂幸太郎を選んだのは正解だった。物語は昭和後期「シーソーモンスター」はテンポ良く進む国内情報機関?の活躍?する家族の中で起きる話しは楽しく読めた。近未来「スピンモンスター」は近未来のAIテクノロジーが進んだ我が国での物語も、8作家競作の共通点?の山族と海族の問題が絡んだ話も伊坂ファンを喜ばせてくれた。そして今、読んでいるのが朝井リョウの「死にがいを 求めて 生きるの 」は平成時代が舞台で、今の時代で感覚も分かりやすく読み進んでいる、少年少女から青年へと舞台を変えながら進む物語は、自分の少年時代、青年時代の過ごした、心情を思い返したり、反省したり、思い上がった考えなどが恥ずかしく浮かんだりしながら読み進む物語は伊坂幸太郎の小説とは別の味わいが感じられた。もうすぐ読み終えてしまうが8作家の中、まだ選んで読む予定はないが山族や海族に興味が湧けば読むつもりだ。
雪景色
2023/01/16
例年なら1月初めには三井寺の雪景色が見られるのだが、と三井寺の展望台から彼方の比良を眺めても雪は溶け春山の様な姿だ。地球温暖化は加速したのではとおもった。山スキーやテレマークスキーを止めても山に雪がないと気分は落ち込むから不思議だ。やはり琵琶湖を取り囲む山々に雪が積もらないと、春の雪解け水の量が少ないと琵琶湖の深呼吸が起きないから湖底まで酸素が届かないと言われている、だから鈴鹿、比良山系には例年通りの雪が降ってほしいと思った。今日も夕方、湖岸へ向かった。北西風が強く琵琶湖は波立っていた。琵琶湖大橋以北は雪雲に隠れていた。今夜は比良山には積雪が予想されるが、やはり北西風が吹くと福井若狭の原発が気になってくる、特に老朽原発の再稼働が心配だ。もし原発事故が起きれば一時間もかからずに放射能を帯びた雲が琵琶湖を覆うと、近畿1400万人の命の水が失われる、そんな事態が起きては大変な事態になることは予想されていることは周知の通りだ。でも再稼働に向けて国は粛々と準備を進めている、そんな中、経済優先の消費資本主義社会で豊かに暮らす市民は興味が無いのか、反対を示す人も少なく大きな声へと広がらないのは何故と考えるも僕には答えが解らない・・・・
雨上がりの爽やかさ・・・
2023/01/15
湖岸ポタリングに出かける頃には、晴れ間が見え始め、浜大津湖岸に着くと琵琶湖の雨上がりの美しい琵琶湖が待っていてくれた。水気を多く含んが空気が優しく包む琵琶湖の眺めに、優しさを感じた。湖岸では母娘がユリカモメと遊んでいる姿をスナップした。最近では肖像権の問題もあり顔などがハッキリ写る写真は撮るのを遠慮しなければならなくなり、街かどスナップ写真もままならない時代となった。何でもない日常を撮影した写真には、その時代の後継が記録され、歴史の時間を旅して、タイムマシンの役割を果たす記録写真は大切だと考えた。でもデジタルで記録しても、データーが消える不安や機器が変わり再生できなくなる可能性も、まだデーターの保存も書き換えが煩雑では遠い未来まで現代の記録を残すのは難しいのではと思う日が続いている、やはり記録重視で考えるならフイルムもデジタルも写真を紙焼きして残せばと思うも保存期間には限度が、所詮ホモ・サピエンスの記録など宇宙の時間からすれば取るにたらない時間ではと思うと、僕の写真も記録であって記録でないような気がすると考えると、もっと気楽に写真を撮ろうとおもった。
シテール島への船出と補陀落渡海?
2023/01/14
今日の午後、雨が止み湖岸ポタリングに出かけた。暗く沈んだ空気の漂う湖岸に佇んで湖上を行く観光船ミシガン号を眺めていると、映画「シテール島への船出」(アンゲロプロス監督1983年)を思い出してきた。人生の寂しさが漂う映画は重く心に響いた内容だったが、朧気な記憶しか無いが人生の最終を待ち受ける場所は明るくはなく重く沈んだ処ではと映画の最終場面を微かに思い出した映画は、年老いた今、もう一度見てみたいと思った。そして我が国で過去に在った、補陀落渡海の事も思い出しながら湖上を行くミシガン号を見た。希望の無い国から希望のない行方を目指す空しさの航海へ向かう補陀落渡海の僧たちの心境はと考えるも信仰心の薄い僕には差し迫った人の心情をはかることは出来ないと思いながら暗い湖上を眺めた。