中島省三の湖畔通信

霧の琵琶湖

2023/01/13

久しぶりに霧の風景を楽しめた。湖岸で霧の写真を撮っていると僕な好きな映画を思い出してきた。タルコフスキーの映画では「ストーカー」「ノスタルジア」では霧のシーンが多く見られた。デオ・アンゲロプロスの映画も霧のシーンが多く印象に残る映画が多い、「シテール島への船出」「こうのとり、たちすさんで」「エレニの旅」そしてタル・ベーラの「倫敦から来た男」はモノクロ映像が素晴らしい映画で、此の映画を見てからタル・ベーラの映画に魅せられた。今日も霧の琵琶湖を見ていると巨匠たち映画をもう一度、フイルム上映で見てみたいと思った。

麗らかな日

2023/01/12

今日は春の様な麗らかな日となった。近くの三尾神社の混雑も無くなり静な元の神社に帰った。三井寺の境内も平日と在って人影も少なかった。近くの鹿関橋から疎水を見ると此の時期に行われる清掃工事が始まった。清掃作業の車両がトンネルに向かって水を押し出していた。水圧ポンプで側面の汚れを落とす作業も始まった。僕の少年時代には疎水の清掃を見た記憶がない、今の疎水の側面は石垣の上にコンクリート補強されたが、汚れが目立つのは琵琶湖の汚染が進んだのかと思いながら作業を見た。不思議に思うのは側面が石垣だった頃は汚れも目立たなく、見た目は普段見ている疎水の風景だったのに、一年に一回は清掃作業をして汚れを落とさなければならないのは何故とおもった。湖岸ポタリングでは打出浜の琵琶湖文化館に足場の組み立て工事が始まった。大屋根の修理と屋根上の大トンボあきつ君の取り外しのためとニュースで知った。後継の博物館は浜大津に5年後に完成予定と言われているから、文化財を保存している文化館の屋根の修理も必要なのかとおもった。

偶然に撮れる写真も・・・

2023/01/11

今日は小春日和?春うらら?と言うようなお天気ではないのかと空を見上げた。三井寺の展望台から琵琶湖を眺めていると波状の雲が彼方に見えた。もう少し早ければ形が崩れずに撮れたのにと悔やんだ。お天気が安定しているのか、湖岸ポタリングでも波状の雲は残っていた。上空には羽毛の様な巻雲が鳥の様にも見えた。空全体が絵本の一ページを見ているようで、雲たちの囁きが聞こえて来るように感じた。こんな日は特に空が飛びたくなってくる、僕が自由に空を飛べたのは大津際川に小さな飛行場が在った5年間と短い期間だった。何と言っても管制塔もなく大阪航空局にローカルフライト申請するだけで琵琶湖上空を自由にトンビの様に飛べた時代は本当に飛行少年だったと半世紀も前の記憶を思い浮かべた。大津から八尾空港へ移ると、自由に空を飛ぶ楽しさが無くなった。何時も管制された空域、ナビゲーションは目的地に向かう為の飛行で、僕には空を自由に飛ぶ本当の楽しさはなかった。何時も空を見るのは、空が好きだから・・・そして飛びたいからだ。

二枚目の写真が今日の題名・・・

新名神高速・・・

2023/01/10

今日は久しぶりに何時もの行動半径から出ることが出来た。友人の清水さんより大津市の田上で行われている新名神高速道路工事の様子を見に行かないかとお誘いを受け出かけた。車が無いと遠くへは向かえず、マンネリ化する湖畔通信の写真に困っている折に最高のチャンスとなった。僕は京阪石坂線で石山寺駅で清水さんの車に乗せてもらい田上へ向かった。久しぶりに長閑な田園風景を期待したが、たかだか6年ほどで大きく景観は変化していた。新しい道路が出来て、もし僕が運転していたら迷うところだと思いながら車窓風景を眺めた。そして余りにも変わった大津市の田上の景観を見て驚いた。空を圧する高層マンションの様な橋脚が山間部に立ち並ぶ姿はSF映画を見ている様に感じた。山肌が削られ自然破壊された山を見ていると悲しくなった。国の推し進める開発工事による環境破壊を伝えるメディアも無くなり自分の目で確かめるしかないのかと工事の進む様子をデジカメで撮った。地球温暖化が進む中で、この先、開発をして豊かさを求める事は矛盾しているのではと思った。帰路、田上関津、で開かれている,かかし村のイベント会場へ寄った。其処には昔の農村風景を想わせる光景が広がっていた。現実の農村風景では見ることが出来ない、案山子?が見せる光景に、タイムスリップして昔に帰ったのではと錯覚した。帰宅後、琵琶湖へ向かった。湖岸に佇んで見る夕景は何時見ても心が鎮まり穏やかな心で一日を終えられる幸せを感じた。

成人式の湖岸

2023/01/09

今日は、びわ湖ホールで成人式があり、におの浜湖畔では晴れ着姿の成人式を終えた人達が集っていた。僕の成人式は殆ど記憶から消えた。会場すら記憶にないくらいだから印象に残る行事は何もなかったのではと63年前の何でもない成人式の映像を脳内で探すも出てこなかった。今日の午後三井寺の観音堂前に出来たカフェでお茶を飲んでいる時、女性から声を掛けられた、マスク姿ではと・・でも先方は僕の通称を・・そして自己紹介され幼馴染のYさんだと僕も直ぐ気づいた。そして暫く昔話をしている中でよく遊んだYさん兄弟の話しに、同世代の兄そして弟も三年前に続いて他界したことを聞き驚いた。幼年時代から青年そして50歳代までは顔を会わしていた人が亡くなった事を聞くと一抹の寂しさを感じずにはいられなかった。そして僕の飛行機の友人は年上の人が多く大津際川飛行場の飛行機野郎たちや東京の飛行機野郎も殆どが他界され、最近は飛行機の話をする友人も少なく飛行少年時代も記憶の彼方へと向かうのかと三井寺の展望台から空を見上げた。

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