正月三が日はSNSを休止・・・・
2023/01/03
今年に入ってから、正月三が日はスマホのSNSの発信は休止しようと決めたので写真の投稿はしていない、でもラインは妹との連絡で使用した。そして自分のスマホの依存度は、そんなに気にしなくても何時でも止められると思った。パソコンから湖畔通信を毎日更新するだけで充分だとおもった。そして以前のようなスマホからの発信は控えようと考えた。明日からSNSを再開するが、インスタグラムで写真投稿をするつもりだ。でも回数を減らしながら何れ止めようとおもった。
今朝の散歩では、すでに三尾神社の境内の駐車場は満杯になっていた。氏子たちが交通整理を担当して車をさばいていたが道路は混雑して軽い交通渋滞が起きていた。神を信じなくなったAIテクノロジー社会でも、此の国では縄文時代から続くアニミズムの影響で神様は健在しておわすと神社の混雑ぶりを眺めた。
三枚目写真は大津市の柳が崎公園のイルミネーションです。
人類に降りかかる問題の多さに・・・
2023/01/02
今朝の寝覚は良くなかった、昨夜見た、NHKスペシャル、混迷の世紀2023巻頭言、世界の知の巨人たちが読み解く未来は・・・を見た。そして解決出来ていない問題の多さに愕然となった。テレビを付けた時に丁度ノーベル賞作家のスベトラーナ・アレクシエービッチさんがウクライナ戦争の事を語っていた。ロシアの人はテレビしか信用していないから現実の戦況を知らないと言っていた。ロシア国営放送から流される番組やニュース放送しか見ていない国民は完全に、テレビからの流れる報道を信じ国家を信頼している人達の話は、僕が生まれた時代の日本の状況と似ているのに驚いた。1940年頃は国家が新聞やラジオを利用して国民を戦時色に染めていった時代と同じではとおもうと恐ろしくなった。そしてアレクシエービッチさんは戦争は今年いっぱいは続くだろうと語っていた。そして知の巨人たちがエネルギー問題や温暖化そして食料問題、資源の問題らを語っているテレビを見終えた。どれも此のままやり過ごすことの出来ない問題ばかりだ。それなのに動こうとしない世界の社会情勢を見ていると希望の無い世界に暮していることを実感したからだ。今朝の散歩では、三井寺や三尾神社は初詣でに賑わっていた。AIが社会を大きく変化させよとしているが、まだまだ古いしきたりも頑張っているから簡単には行かないとおもった。そしてテレビやメディアが発する情報には注意して、国家にコントロールされないようにしなければとおもった。
夕方、柳が崎の湖畔から夕景を撮った、そしてイルミネーションの会場へ向かうと、去年よりも美しさを感じさせる美しいイルミネーションを見ていると、原発のことが心を過ぎった。デジカメで写真を撮る自分の姿に少し矛盾を感じながら会場を後にした。
正月は一茶の句を思い出す・・・
2023/01/01
今年のお正月元旦は穏やかな晴天に恵まれた日となった。僕は毎年正月がには小林一茶の俳句を思い出し、「めでたさもちう位なりおらが春」とバカの一つ覚えのように呟くのだ。子供の頃から正月は好きでなかった。父親が厳しく、正月は静にしているものと、はしゃげば叱られるし窮屈でしょうがなかった。そしてお祭りも嫌いだだった。そんな事を思い出すお正月は、素直に、新年あけましておめでとうございます、とは言えない性分だ。夢、希望など持てぬ国に住んでいることを確認するのが僕のお正月だ。昨日と同じ様に今日も三井寺の散歩に出かけた。今日は新年のお正月とあって境内は初詣の人の姿も多く見られた。総門入り口近くの三尾神社は、まだひっそりとしていた。卯年の兎が三尾神社のシンボルで、今年は卯年で混雑が予想されていたのにと少し表紙ねけした。湖岸ポタリングでは、余りにも静な浜大津港に少し驚いた。午後は、久しぶりに次男が家族で家に来た。別に改まった正月気分は嫌いなので普通の延長としての時間が過ぎるだけだ。次男家族が三尾神社へ向かうも直ぐに帰ってきた。理由を聞くと三尾神社は凄く混雑していると聞き、デジカメを持って駆けつけた。朝の様子とは打って変わり大混雑していた。僕の知って入る限りでは初詣で混雑した三尾神社は初めて見る、デジタルとAI化した時代でも神様は健在なのかとおもった。混雑ぶりをデジカメで撮りながら現代の不思議さを感じた。まあ今年のお正月も、めでたくもなし・・・
大晦日に考えること・・・
2022/12/31
大晦日、今日は朝から、やり残しの掃除を済ませ、湖岸ポタリングに出かけた。一年の最終日は、青空の雲の美術館を堪能させてもらった。雲を毎日、観ていても飽きないのは同じ形がないからだ。残念なのは飛行機の操縦を止めてから何十年が過ぎ、雲に触れることが無くなったからだ。パイパーやセスナで触れる雲は積雲が殆どだ。湖岸から眺める積雲は迫力もあり身近で素敵な雲だ。今日も低いところでは積雲が活躍していた。最近はデジカメとスマホで雲の写真を撮っているが、写真を撮るのが忙しく本当に雲が好きなら見ているだけで良いのではと思うこの頃だ。そして今日の朝刊(朝日)の社会面で大きな見出しに目が留まった。気づけばスマホの奴隷、(タイパ社会)豊かな時間はどこに、を読んだ。SNSの投稿で「いいね」をもらうために写真を投稿する頻度多く始終スマホが手放せない、関西の女子高校生の話が載っていた。僕はそれ程多くSNSに投稿していないと・・でも毎日、FBやSNSに投稿して少しではあるが「いいね」をもらっている事を思い出した。スマホを触る時間は撮影と投稿らと見る時間は毎日一時間は越えているのではと考えた。そして、時間どろぼうを題材にした小説「モモ」(ミヒャエル・エンデ著)を思い出してきた。モモが仲間と時間どろぼう、と戦う?話は現代人の忙しい暮しで大切な人間関係と時間大切さの物語だ。僕も新聞記事ほどではないが、スマホに一時間半位使用しているから、少し反省した。来年は写真はデジカメと決め、スマホからは距離を置いてゆかねばと考える大晦日となりました。一年の終わりに、湖畔通信を見て頂いている方々に感謝いたします。では来年もよろしくお願いします。そして良い年でありますように・・・
大津の歳末風景?
2022/12/30
今日も穏やかなお天気となり湖岸ポタリングを楽しみみました。今日は年末の休日に入ったのか湖岸ではバス釣りを楽しむ人を多く見かけた。帰路は商店街へ寄った。歳末の商店街は静だ。僕の少年時代を思い出すと悲しくなるくらい寂れ賑わいのない歳末風景だ。大津の商店街は過つては滋賀県で一番の商店街だった。人が溢れ年末だけは京都の京極通りの様な混雑は凄かったことを思い出すと寂しさが倍になった。でも菱屋町の一角だけは昔の賑わいを感じさせてくれた。老舗の漬物屋の八百与の店先は昔を思い出させてくれる賑わいだった。そして新しく出来た、おにぎり屋には行列が出来ていた。でも辺りを見渡すとシャッターが目立つ静な商店街だ。昔のような賑わいはイベントでしか見ることが出来ないのが現状だ。湖岸には高層の集合住宅のマンションが増え続けているが町の発展に繋がらないのは町としての魅力が足りないからだと思った。