風景に想う

 久しぶりに,京都太秦のイノベスタジオへ出かけた。浜さんからテレシネ(8ミリフイルムをビデオにする)の機械が入っ たのでテストしないかと連絡をうけたので、古い8ミリフイルムを持ちスタジオへ、そして映写機にフイルムをかけ作業開始。スクリーンではなくテレビに映し 出される,映像は想っていたよりはるかにきれいだ。今から40年ちかく前の京都のエアーショットが。その頃の京都は甍の町並みの多く残る古都と言える風景 が画面全体に映し出されている。友人の清水さんに世界遺産の中国雲南省の麗江の写真を見せてもらったのを思い出した。瓦屋根の町並みと運河の残る風景が印 象的だ。京都も40年前なら町全体が世界遺産になっていたかもしれない。大津も三井寺境内の木々の上に浜大津のマンションが顔を見せている。日本では風景 には価値観がない様だ。私が以前訪ねたインド洋に浮かぶ地上最後の楽園と言われているセイシエルでは、国の平均樹木よりも高い建築物を建てることを法律で 禁じていると聴いた。島を上空よりみると建物はめだたなない。美しい海と島が調和している風景は今も私の脳裏に焼き付いている。自然の残る風景はお金で買 えない安らぎを人々に与えてくれることはみんな解っているのですがね。そんな事を考えながら今日も三井寺境内を散歩しています。木立ちの中より聞こえてく る鳥たちの鳴き声を聞いているとセイシエルのことが思い出されてきます。

2000/11/10