ライカ

 ライカ、ドイツ制のカメラ。40年の時を経ても今も使用できるレンジファインダーで、レンズ交換の出来るカメラの虜に なった。今年2月京都寺町の茶房大吉での話である。主の大吉サンから愛犬の死の3日まえの白黒の写真を見せられた。愛犬の息使いまで描写したスバラシイ写 真で、撮影者は京北に住まわれている浅井サンとのこと。カメラはライカであると大吉サンからの話。数日ごお店を訪ねると大吉サンの手に古いライカ3fが。 エルマーの50ミリ着きだ。デザインは完成され付け入るスキがない。手にふれると小型ではあるが存在感のある重み。空シャッターをきる。40年かんの時間 の空白を超えカッシャと音がした。私は数ヶ月後中古のライカ3fにズマロン35ミリ付きを手にいれた。カメラは使いにくく不便なものだが、使い込んで行く と不思議だ。楽しさと愛着が日毎に増してくる。露出は勘。巻き上げはノブを回す。じつにのどかなものである。出来上がった写真は撮る人の感性が溢れた楽し い写真だ。この頃大吉サンのお店ではライカ談義に花が咲きあっという間に時がながれる。いまではお店の棚には大吉サンのバルナックタイプのライカが並んで いる。私はライカを肩にエコフェアーが開かれている浜大津の湖岸から近江大橋の方へ向かった。太陽光発電、風力発電を利用したイベント用のイルミネーショ ン。発電用のパネルは40年も使用できるのか、いろんな事に疑問がわいてくる。身近なところで私はカメラに電池がなければフイルムも巻けない。ただの産業 廃棄物。エコ、エコと言われるが快適な生活を求めて止まない現代社会。温暖化のことを考えながら自転車をこぐ。そして家へ。冷蔵庫からビールを。矛盾を感 じのどを潤した。ガラスケースの中にはゼンマイで動いた8ミリカメラが今のビデオカメラの時代を静かに見ている。柱時計は止まっている。修理にだそうと時 計に手をやるとボーンと時を打った。

2001/8/6