三井寺の赤門

 梅雨に入り三井寺の境内の緑も深みをましてきた。小雨の中緑のトンネルの石段をあえぎながら駆け上がる。展望台より見る風景は水墨画を見ている様で、神 秘的な世界に引き込まれて行きそうだ。8時と言うのに大津の町は静かに眠っているように感じる。私は今年の冬みた夢を思いだした。いつものように境内を散 歩していると、行く手に突然赤い門の寺院が現れ、門のまえにつむじ風が落ち葉を吹き上げている。落ち葉の舞い上がっている元に目をやると半円形の黒い岩が 見え、よく見ると白い気流が流れてまるで宇宙から黒い地球を見ているようだ。時折キラット光る落ち葉の様であり、見たこともない綺麗な物体が黒い岩の中に 消えて行き、又新しい物体がとどめもなく流れて、その美くしさは私の今までみてきたモノとはたとえようがないほどです。魅せられていると後ろのほうで声が した。あなたには大切なものや綺麗なものが見えますかと。振り向くと老僧が笑みを浮かべてたっている。黒い岩の方に目をやるとつむじ風がやみ、落ち葉が岩 を覆った。また振り返ってみると老僧の姿はないそして夢から覚めた。本当に美しいものや大切なものが見えているのだろうか。この頃の私の生き方の中で見よ うと努力しているのだろうか。ある日、ドクダミの花を一輪差しに生けてみた。白いクロスの可憐な花が西日を受けて綺麗だ。このことは以前京都の大吉さんで の話しで、私は花は自然にあるのが一番美しいと言うと、大吉さんは自分が以前ドクダミの花を生けた時の話をされた。とてもきれいな花でまた自然にあるとき と違う美しさがあると言われたことを思いだし生けた次第です。数日が過ぎドクダミの花は朽ちて行きました。美しい物も大切なこともやがて消えて行くので しょうか。心の中にあれば消えないのでしょうか。でも記憶も薄れてゆきます。本当に大切なこと、そして美しいものがあるのでしょうか。赤門の老僧はなにを 言いたかったのか。私はやはり見ようとする努力、それは今を感じ、その時どきに感性で判断して行き、大切な事美しいものがあるのだと信じて行こうと思う。 まだ現実の三井寺の赤門は拝見できずにいる。緑のトンネルの向こうにはあるのかも。

2002/6/20