天平の仏さま

 6月のある雨の日、大仏開眼1250年で賑わう奈良へ出かけた。奈良公園あたりは東大寺へ向かう人並みが途絶えること がない。さすが古都奈良。どこからでもかかっていらしゃいと南大門がどんと手を広げて大勢の人たちを天平の時代へと向かえてくれているようだ。この門はい つ見てもスゴイ。あらっぽくも見えるが無駄のない作りはダイナミックさを強調させていて、現代にあっても最高の建築物だと思いながら門をくぐり、秘仏が公 開されている法華堂へむかう。友人の福家さんより今回公開されている秘仏のうちでも執金剛神像はスゴイと言うことを聴き、そして拝観券までいただき、天平 の仏さまに会える機会を与えていただいたことに感謝しながらお堂に入った。少し斜めから秘仏執金剛神像に初対面。おもわずその場に立ちつくすほどの美しさ に私は驚きと天平の仏師たちのたしかな腕と目に感心するばかりです。お堂の正面には美しい姿の仏さま。まんなかの不空けん索観音さまのおおらかなお姿。頭 上の宝冠は博物館に展示されているとのこと。すがすがしい気持ちで博物館へ向かう。宝冠はガラスケースの中に。どの方向からも細部まで見ることができ久し ぶりの充実した時であった。ふと私の脳裏に、無数の銀の棒が冠からでている宝冠は天平の人々の悩みや願いごとを聞き取り受け入れるアンテナのように 映った。宝石は願いやなやみを整理するラジオに内蔵されているトランジスターの様に私には見えた。光背からでている光もアンテナだったのかも。悩みや願い を聴いてもらった天平の人たちは幸せだったのだろう。現代人は人の話にあまり耳をかさず自分勝手にいきるのが最上と思っているのだろうか。そう言う私もま ぎれもなくその一人である事にちがいありません。今必要なもの、それは世の中の苦しみや悩みを聞ける心のアンテナを私もたてようと思いながら奈良を後にし た。

2002/7/11