shozoさんのブログ

オーストリアの事故

  2000年11月11日キッツシュタインホルンの山岳ケーブルカーで痛ましい事故が起こった。私は30年前にチロル地方 にスキーに行った時の思い出がよみがえってきた。セント・ヨハンのスキー場は素敵な町並みと自然をたくみに取りいれた素晴らしいところでした。驚いた事は ロープウェイとスキーリフトの速さである。日本のロープウェイらの倍ちかくあったと思う。日本での安全基順では補助索道のワイヤーはたしか2本必要であっ た。セント・ヨハンのロープウエーイは1本であった。でも客を早く輸送することでは優れていた。でも安全性は、と今あらためて考えさせられた。便利さをも とめる現代社会。スキー場は環境破壊の最たるものだと、夏のスキー場を見たとき思った。昔のスキー場といえば大根畑に雪が積もれば、そこがゲレンデ、そし てテランは山スキー、自分の足で稼いだ高さがすべる距離になった。そんな時代は遠くなった、でも時々は自分の足で山スキー仲間と出かけ、自然の偉大さを感 じているつもりだ。航空医学の権威、黒田先生の話を思い出した。人間の基本設計は時速4キロであると。自動車、飛行機、何百キロの速さで走る乗り物には体 が対応していない事を改めて感じると同時に、何時も死覚悟、そんな緊張感が必要なのかなと思いながらオーストリアで事故に遭われた人たちのご冥福をいのり ます。私はユックリ時速4キロで人生を行こうと、そして車を捨てる日が近いことを感じながら。

音楽と映像

 久しぶりに,友人の茂呂さんのCDニューアルバムDEEP RIVERを 聴いた。ボリュウムをあげ、スピーカよりでてくる音楽は不思議な体感をさせてくれた。私はマリファナは吸った事はありませんが、不思議な映像が浮かんでき ます。行ったこともない外国、歩いている人は、異星人、それとも地底人、それとも中近東あたりの風景が頭の中のスクリーンに映し出されます。私の使うフイ ルムやビデオでは表現が難しく思えます。いま私は音楽よとまれ、そして映像が追いつくまで。時間表現の映像、そして音楽は符号が近いところで合っているよ うに思えます。茂呂さんの音楽を聴いて私は映画を撮りたくなりました。ストーリイのない夢のような映像が、まだスピーカよりDEEP RIVERがながれています。曲が21世紀へ誘ってくれて入る様で少し明るさを感じながら今夜はSF的な夢でも見ますか。 飛行少年まだ60才。
音楽に乗ってタイムマシーン、テイクオフ ③ ② ①  ゼロ

風景に想う

 久しぶりに,京都太秦のイノベスタジオへ出かけた。浜さんからテレシネ(8ミリフイルムをビデオにする)の機械が入っ たのでテストしないかと連絡をうけたので、古い8ミリフイルムを持ちスタジオへ、そして映写機にフイルムをかけ作業開始。スクリーンではなくテレビに映し 出される,映像は想っていたよりはるかにきれいだ。今から40年ちかく前の京都のエアーショットが。その頃の京都は甍の町並みの多く残る古都と言える風景 が画面全体に映し出されている。友人の清水さんに世界遺産の中国雲南省の麗江の写真を見せてもらったのを思い出した。瓦屋根の町並みと運河の残る風景が印 象的だ。京都も40年前なら町全体が世界遺産になっていたかもしれない。大津も三井寺境内の木々の上に浜大津のマンションが顔を見せている。日本では風景 には価値観がない様だ。私が以前訪ねたインド洋に浮かぶ地上最後の楽園と言われているセイシエルでは、国の平均樹木よりも高い建築物を建てることを法律で 禁じていると聴いた。島を上空よりみると建物はめだたなない。美しい海と島が調和している風景は今も私の脳裏に焼き付いている。自然の残る風景はお金で買 えない安らぎを人々に与えてくれることはみんな解っているのですがね。そんな事を考えながら今日も三井寺境内を散歩しています。木立ちの中より聞こえてく る鳥たちの鳴き声を聞いているとセイシエルのことが思い出されてきます。

2000/11/10

葛川谷の紅葉

 秋晴れに誘われ、朽木へ向かった。花折トンネルを抜けると、山並みは山頂から裾野へと紅葉がひろがっている。まるで映 画のワンシーンのようにフロントガラスに飛び込んでくる。本日は爽快である、でも腹がへっては写真も撮れぬと朽木のソバ屋,延昌庵へ。ざるソバと栃もちぜ んざいを食べる。この店のソバはいつ食してもうまい。お腹もふくれ撮影に向かう。道路がよくなり,風景が変わり撮影ポイントがわからない。しかたなく旧道 にはいりやっと良い場所を見つけ撮影を始める。谷川の清んだ水、そして紅葉、露出はいつもの感ピュターで一分三十秒。五枚ほど写し本日の撮影終わり。そし て京都の現像所へむかう。そして結果は不満足。何時もとは違う。私は美しい風景に心を奪われ何時ものように想像して自分で絵作りができなかったのだ。何事 も一見美しく見えるものには落とし穴がある。そんな事を考えながら電車のなかでポジフイルムを車内灯にかざし見る。そしてそっとポケットへしまう。本日は 満腹感と不満足で差し引きゼロ。私の算数、おしまい。眠くなりましたそれではまた。

2000/11/6

桜の木

 秋雨が静かに落ち葉の上に降っている。その中でも桜の落ち葉はひときは美しい。一枚として同じ葉っぱは無い。三井寺の 石段に広がる落ち葉を見ていると、美術館に居るような錯覚をおぼえる。NHKがデジタル放送のスゴサを番組のなかで、狩野派の絵のへ入って行ける技術を紹 介していた。でも私はそんなものより絵画よりスバラシイ桜の落ち葉のある石段を一歩ずつ上がって行く現実の方が、デジタル放送より好きだ。それにしても桜 はエライ。春の桜の花で多くの人を楽しませ、秋には落ち葉で人を詩人にしてくれる。私は花よりももちろん秋の落ち葉が好きだ。まだ雨は落ち葉にふりそそい でいる。風で葉がぱらりと落ちた。また私の絵に一枚の葉がふえたもちろん、頭の中の絵に。今日も私は暇なのだ。

水の惑星

 雨の日の散歩も楽しいものです。水たまりの多くあるグラウンド、松葉の先の水玉、など雨降りの時しか見られない美しい光景。三井寺の展望台より見る景色 は水墨画を見ているようだ。ロシアの映画監督、タルコフスキーはこの世で一番美しいものは、水であると書物の中でかたっていた。雨の中、私は水の美しい映 像作品、ノスタルジアを見たくなった。もちろんタルコフスキーの作品である.モミジの葉先のいくつもの水玉に映る風景を見ていると、たとえ宇宙に飛び出さ なくとも、この美しい水の惑星を想像することはできます。まだ雨は静かに降ている。

ゴミ問題

 金曜日、ゴミの収集日、ゴミ袋が軽くて小さい、今週は外食が多かったせいだ。たしか行政の主導でゴミゼロの日が決められていたように思う。でも家庭でゴ ミゼロだとしても、外食先でのゴミの行方は。その点、自然界、森、山のシステムはよくできています。落ち葉は腐って分解され栄養分として土へ、そして木へ と実に効率よくできています。人間社会も便利さや豊かさ求める現代社会のシステムを変化させる事ができるのか。歴史からみても後戻りした時代はないのです から難しい問題です。霞みを食して仙人にでもなりますか。さあ来週は外食で目の前のゴミでもへらしますか。私のやる事自己満足ですなあ。

2000/10/20

帰り道

 都会からJR大津駅に帰りつくと静けさにホットする。何時もタクシーには乗らず、寂れた大津駅前商店街を下る。午後七時、あまりの人の少なさに時代の流 れを感じる。丸屋町もシャッターを閉ざした店が多く、まるでゴーストタウンのようだ。Y電器屋のSさんがこんな事をいっていた。今から四十年前は買い物客 でゴッタガエシテいたなあ、魚屋の大将がお前自転車で足着かんと丸屋町からナカマチまで行けたら、逆立ちして大津中回ったると言う取ったなあ、そんな事を 思い出しながら商店街をぬけ静かな町並みを行くと我が家が。鍵を開け暗い室内え。もしこの町が賑やかだったら私は落ち込むことでしょう。でも駅から家まで のアプローチが静かで、寂れているから一人暮しの家にたどり着いてもなんの違和感もなくいられるのかな。そんな事を思いながら明かりをつけ、冷蔵庫から赤 ワインをグラスに。映画ヘッドライトでのシーン、ジャン ギャバンがワインを飲むところよろしく、グイットのみ干した。映画も町並みも思いでの中では華や かだ。も うそんな時は帰ってこないのかなあ。

2000/10/18

ネズミの素早さ

 ピイーピイーとブザーが洗濯を終わった事を知らせている。洗濯機のところえ行くと、隣家の境の方から小さな物体が走 る。私の足元をぬけ庭の方えと消えた。洗濯物を干していると、その物体が石垣の隙間に入るのを見て小さなネズミと確認できた。シドニイのオリンピックの競 技にはあまり驚かなかった私ですが、その電光石火の動きには驚きました。何時もネズミが現れると、そく殺鼠剤を置いていましたが、そのネズミの動きを見た 日から考えを変え様と思いました。別に直接,被害をあたえる訳では無いのだから。彼等もまた自分の能力を生かしながら一生けんめい生きているのですから。 けっこう顔も可愛いいし、子犬、子猫、小鳥、それからヤマネ、思い出しました、冬の比良、武奈が岳山上でチョッコと顔を覗かせ雪の中え消えたのもネズミで した。さあ、殺鼠剤を捨てよかなと考えた。

美しい落ち葉

 十月に入り三井寺の境内を散歩していると、まだモミジは新緑を保っている様子だ。桜の葉の落ち葉にハットする美しさを 感じ、思わず足を止める。京都寺町の大吉さんで聞いた話に、綺麗な落ち葉を持ってその葉っぱをお金の代わりにおいて行った絵描きの話を思い出した。そして こんなことを想像する、千円札、一万円札、と落ち葉を比べるともちろん生活のうえでの価値観はお金でしょうが、美しさでは葉っぱでしょう。タヌキは葉っぱ をお金に変える、そんなことができるタヌキは落ち葉の美しさ知っているんでしょうか。そんなことを考えながら歩きはじめると、足元でパリッと乾いた音がし た。そして木立の中より鳥のさえずり。

2000/10/13

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