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火星へ移住

 7月8日夜NHKスペシャル「宇宙未知への大紀行4惑星改造・もうひとつの地球が生まれる」火星へ移住をのんびりと横 になりながら見ていた。地球は排出される2酸化炭素で温暖化が進み人類が住めなくなると番組の中で語られていた。火星での生活等がCGで表現されてそれな りにSF映画でも見ているつもりで気楽に考えていたら疑問がわいてきた。100億近い人間が火星へ移住できるのか、移動手段は、そんな沢山のロケットが準 備できるはずがないと私の脳裏に500年後の風景がCGでえがかれた。ロケットに乗る人はすべて白人と日本人では大企業の人と政治家が50人、白人 3000人が2500年7月7日、30台のロケットで地球を旅だった。それを見送る地球人200億人。その中に私の未来の子孫も薄汚れた日本のひと隅でロ ケッットの航跡を追っている光景が想像でき急に私をブルーな気分へと誘ってくれた。その夜外へでて空を見上げた。薄曇の中星が輝いている。何光年も先から とどく光、大自然の大きさ、人間のチッポケな野望なんかくそくらえ。星から声が聞こえた、人間はまだ本当に大切な事は見えないんだよ、とサン・テクジュベ リの「星の王子さま」のかすかな囁きがした。うだるような梅雨の夜、なま暖かい風が走った。

2001/7/9

内視鏡

 7月5日、腸の検査をしてもらうため金沢へ向かった。京都駅からサンダーバードに乗車、山科駅を過ぎながら山トンネルを 抜けると車窓風景の広々とした明るい眺めが私の心に明るさを呼び込んでくれる。琵琶湖の夕景にはまだ早いが、美しく輝く湖面を見ながら心地よい電車のリズ ム音を聴きながら少し眠った。定刻に列車は金沢駅に到着、そしてホテルへ。食事後窓から外を見ると雨、昼間の晴天が嘘のようだ。7日雨、早川クリニックへ とタクシーで向かう。受付を済ませ服を着替え診察を待つ。中島さんどうぞ、の明るい声。早川先生の手際よい応対。のち胃カメラの時下剤がカメラの先端より 腸へ流しこまれる。私は過敏症のためさっそくトイレへ。お腹がからになれば内視鏡の検査。早川先生の声、さあ始めますよ。モニター画面を見ながら横に寝て いる私の肛門からカメラが入る。映画ミクロの決死圏を想像させるS字結腸をカメラが映し出している。先生によると、腸内は人間の臓器の中でももっとも美し いものだと言われるが、赤く美しいトンネル(腸内)を見ていると私もそう思え改めてモニターに目をやる。隊長の声、ポリープ発見、直ちに作業開始。小さな ポリープはなんなく取り除かれカメラは盲腸で折り返し、その時また隊長の声、ポリープ発見。隊長の見事なカメラワークがモニターへ映し出される。画面を見 ていると自分の体内で行われている医療行為とは信じられない。少し麻酔が効いているのか、映画が終わってボンヤリと劇場にいるのかなあ。中島さん済みまし たよと早川先生の声、我に帰る。先生から今日は2つのポリープを採りましたとの結果を聴き一安心。早川先生やスタッフに感謝しながら帰路につく。サンダー バードは京都へ、北陸トンネルあたりから眠りにつく。夢の中で赤い血管が走る腸内をカタン、カタンとリズムを響かせながらサンダーバードは私を体内の奥深 くへ運んで行った。

2001/7/7

動く宝石

 6月27日、つゆの晴れ間私は散歩に三井寺の境内へ向かった。私が境内を毎日1回歩くようになってもうすぐ1年だ。習 慣とはおそろしいものだ、雨、雪、風をものともせず時間がくれば家を出て歩いている三井寺へと。もう新緑の季節は過ぎ木々は深い緑へと変化している。総門 をくぐり桜の葉の茂るトンネルの石段を駆け上がる、モチロン息を切らせながら。ウグイスの鳴き声に励まされ、そして観音堂。休む間もなく展望台へさすが梅 雨の蒸し暑さで顔から汗が落ちる。石段に汗が模様をつける。ものの気配。トカゲが私の前を横切る。少し驚き足を止め見送ると、トカゲは石垣の方へ。縦縞の 美しい細い体型、メタリックな輝き、トカゲがこんなに美しい生き物とは。幼い頃と言えばトカゲのシッポを切ったりする事ばかりで、観察力もなく弱い動物を いじめていただけの自分をはずかしく感じた。近年、私の庭で見かける事はなかった。それゆえ久しぶりに見たトカゲは美しくそして幼なじみに会った様な懐か しさを感じた。まだ身近なところで自然が残っている幸せと今日出会えた。宝石の輝きをもつトカゲに感謝しながら深呼吸。展望台から見る大津の町は高いビル が景観を遮っている。比良連峰の眺めも台無しだ。もう一度深呼吸。一陣の風がウグイスの鳴き声。動く宝石にまた出会えるかな。

2001/6/28

空景の大津

 4月10日、久しぶりの空撮の仕事、視界はまずまず、ドアーを取り払ったヘリ350は身軽そうだ。撮影の機材を防震装 置に取り付け、京都東山の臨時ヘリポートをテイクオフ、小川パイロットと私とVEの石田君を乗せたヘリは3分程で大津上空、眼下に広がる大津市街と琵琶 湖、少しへイズがかかっているが、撮影には支障なし、ドアーをはずしたヘリの視界は最高だ、高度を300メートルにさげてもらう、桜の疎水と三井寺が春を 謳歌している。あの秀吉ですらこんな豪華な花見はできなかったであろう。優越感に浸りながらカメラを回しつずける。開発が進む大津市の北部やまだ自然の残 る雄琴から堅田へは水面すれすれの超低空で撮影。琵琶湖大橋をロングで、ヘリの真下には大住宅街と発展した堅田、真野地区がまるでアメーバのように触手広 げているように見える。そしてヘリは伊香立を過ぎ葛川谷へと向かう。比良山系と北山に挟まれたV字渓谷が美しい曲線を描いている。ヘリは谷にそい飛行す る、山裾と谷の間の僅かの土地に集落が、人はなぜこんな厳しいところに営みを始めたのだろうか。ビデオカメラのモノクロファインダーが時を止める。小説家 でパイロットのサン・テクジュベリだったらこの風景をどう表現したであろう。まるで箱庭を見ているようだ。嘘のようにエンジン音が聞こえてこない。まるで タイムマシーンにでも乗って時代をさかのぼっているようだ。ヘリは武奈ケ岳山頂を一回りそして大津へ向かう、浜大津から膳所方面へ。急にエンジン音そして カラーの世界へ、コンクリートと石の湖岸そして人工の砂浜、葦1本ない不自然な風景が私を現実へ引き戻してくれる。ファインダーをのぞく、モノクロの世界 だ。でもエンジン音とパタパタとローターの音が私の耳にひときは高く飛び込んできた。

2001/6/18 

事実を見る

 5人の仲間と今年2月に原発を考える講演会を開いた。事実を見る、と話を切り出されたのは京都大学原子炉研究所助手の小出裕章さん。東海村の事故の内容 を分かりやすく説明された。また原発から排出される死の灰の量の多さ、事実を見せられて行くうちに恐怖が私の脳裏を駆けめぐった。そして講演は1時間半で 終わった。小出さんの黒白をはっきりした話の内容は聞く者に清涼感さえ与えた。この国には原発は不要と私は確信を得た。事実を見る、なんと深い言葉であろ う。政治家も事実を見て政治をしているのだろうか。新聞やテレビは事実を見ているのだろうか。せめて原発の事は。事故が起これば多くの死者が、それだけで はすまないこの国の存亡に関わってくる問題なのだから。原発の実状をしっかり見つめた報道をしてほしいものだ。 金沢へ向かうサンダーバードが福井県を通 過中私は今事故が起こればとふと考えた。何事もなく列車は原発から送られてくる電力で快走している。電光掲示板に次は金沢と、そしてペットボトルの水を飲 んだ。ホットためいきまじりの息がでた。

2001/3/26

面会

 一月のある日母の入院しているS病院へ面会に行った。母にとッて世紀末は大変な年だった。2回も骨折し、精神的にも参っていたと思う。病院のスタッフや 医師のおかげで元気になってきた。その母も今年、89歳になる。私は母に似ていると言われるのがつい最近までいやだった。それが近頃私の思いが変化した。 笑顔が似合う人だな、と病院で会うたび感じるようになった。人に聞くところによると、母は感性豊かな人であると。でも自分を表現できず殻にに閉じこもった ままで88年間すごしてきた。うつ病をわずらい、ここ30年間は内面的に大変だったと思う。その母のDNAを引き継いでいる私は自由に表現しながら60年 間を過ごしてきた。表現しない母が一つだけ話をしてくれることがある。それは12歳のとき遇った関東大震災の体験談だ。克明に被害の状況を。私には映像が 浮かんで、その当時の様子が想像できる。母はその時の衝撃を今も背負っているのだろうか。もちろんビデオに記録しておいた。母の語ってくれた貴重な記録と して保存しておくつもりだ。母を理解するのに60年もかかった。長生きしてくれて良かったと思う。私も今年61歳。母にオレだれか判るかと聞いた。省三、 私の息子や、と笑顔で言った。

2001/1/29

ブラックボックス

 師走に入り気ぜわしく世の中が動いている。暇な私は友人に誘われ北海道へスキーに出かけた。その日は寒波でマイナス17度と顔にあたる雪と風はあまりに も冷たすぎた。でもパウダースノーでスキーは軽やかに雪面を走った。満足感で久しぶりに頭の中までリフレッシュできた。そして友人と町へくりだした。チエ ン店らしき居酒屋に入り冷えた体を中から温めるべく熱燗の酒とホッケ、その他数種の肴を注文する。待つ間もなく次から次へと料理が運ばれお腹のすいている せいもあり、あっと言う間にたいらげた。そして最後に焼きおにぎりを注文、二三分でテーブルに届いた。私が想像していたおにぎりとはかけ離れたものだっ た。ふりかけご飯をにぎったようなもので、上皮だけ少しコゲメのついたやわらかく歯ごたえのなさは現代子向きにおもえた。三日目の夜は少し足を延ばしスス キのへ出かけた。ビルの角に古ぼけた戸が。見る限りそんな綺麗な店ではないので一瞬入るのをためらった。戸を開けると店内はすすけたような天井、カウン ターには常連客が三人座っている。大きな松を利用した、直径一メートルはある火鉢には炭があかあかとイカッテいる。そのうえには油で黒くなっている網が。 そして目のパッチリした美人の女将が。イラッシャイと小気味よい声が入るのをためらった気持ちをふりはらった。そして、イカ、シシャモ、ホッケを注文。大 きな網の上にのせられ女将の手際よいさばきで焼かれて行く。イカがまるくふくらみ飛行船のようだ。シシャモはアルミホイルの枕をして焼かれている。何故か と聴けば、頭が焦げるからと女将から返事が返ってきた。炭火に照らされた女将の顔が美しくも色っぽくも思えた。そして焼きおにぎりを注文。目の前で焼かれ る白い飯のおにぎりだ。ゆっくりと時間をかけ炭火でこんがりと醤油がぬられ、また焼かれ香ばしい匂いが食欲をそそる。物が作られる課程を目の前にしながら 酒を飲み、そして出来あがったものを食す。初日に寄った居酒屋はコンピュターのようですべてがブラックボックスのなか。調理される物そして作る人の顔が見 えない。世の中政治も含めなにもかもがみえないところで処理されて行くのかなあと、美味しい焼きおにぎりをほうばりながらそんな事を考えた。テレビがまこ としとやかに社会はITからIPへと変化すると。でも私はあの焼きおにぎりがすきだ。女将、美人だったなあ。ヤッパリ俺アナログで行こう。

2000/12/20

追: お酒と食事は友人であり先輩のUさんにご馳走になりました。持つべきものは友達かな。

テレビ放送のデジタル化

 朝日新聞11月18日付きの紙面で、テレビ進化の鼓動として特集がくまれていた。読んで感じたことだが、何のリテラシ イも感じずメリットばかりを話した内容であった。そんな良い事ずくめでよいのだろうか。森下洋一氏の発言の中で”使うテレビへ”ではたしかに便利になるだ ろうが、私は人がテレビに使われるような気がしてならない。チャンネルも大幅に増え、選ぶのも大変なように思う。私は映画を見る情報も、人から聞いたり、 新聞や町を歩きながら映画館の看板を見て考えるのが好きだ。テレビでバンキングやショッピングができ、病院らに出向かずとも診察が受けられる時代がくると メディアはそう伝えているが、物のことばかりで心の問題は。日本人が心豊かになれるのは何時の日か。先日もフイリッピンでボランティアをしている友人より メールが届いた。ネグロス島では物ではけっして豊かではないが、親子、兄弟、みんなが心豊かに暮らしていると。本当の幸せとは物ではなく心なんだと感じる メールだった。またNHKのIT関連での番組でも、ネクタイをしめよそ行きの服装でIT関連の話を討論していた。情報なんて普段着でいいんだよ。日本はよ そ行きで、表面のIT化は進むかも。でも政治を見ていると、すべてのことにしっかりとリテラシイを、そして自分にもと新聞を見ながらテレビみてます。私も 内容なしになりますか。頭カラッポ、サイフも・・・・・・

2000/11/22

秋に、さくらもち

  雨上あがりの三井寺観音堂への石段を登っていると、春の饅頭屋で売られているさくらもちの臭いがしてきた。足元に目をやると雨にぬれた桜の葉が多く重 なって朽ちかけようとしている。まだ中には色鮮やかに赤く美しさ保っている葉を取ろうと身をかがめると、さくらもちを食す時に感じる桜の葉の臭いが晩秋の 風に乗って私の顔をなぜた。時はあたかも食欲の秋。急いで階段を駆け上がり自販機に硬貨を入れコーヒを飲んだ。力餅も食べたいが本日は日銭を使わぬ日であ るから。なぜかと言えば、よく友人から中島さんはよく無駄使いをすると指摘されたのを期会にすこし考えたから。私のお腹がグウッとなった。本日空腹人。で も夢いっぱい。さあ歩こう元気よく、自分に言い聞かせながら。

雨の音

 早朝、午前五時、町はまだ眠りの中、雨音が心地よく私のまだ眠っている脳をやさしく刺激してくれる。雨音にまじり時々 ポン、ポンと雨だれが軒下のビニロンのテントにリズムをとりながら落ちている。幼年の頃の記憶が蘇えってくる。家の中でもいろんな音が聞こえたなあ、天井 を走るネズミ音、ヘビがザア、ザアと這う音、夏の蚊帳のそとをとぶモスキートのまるでブーンと飛行機のような音。夏の終わりにはコオロギの鳴き声その声を 聴くと、よく祖母が、ボッコつずれ、つずれ、と冬仕度をするようコオロギ知らせてくれているのだとよく私に語ってくれた。今は冷蔵庫や電機器具からの低周 波が部屋中を駆け回っている。その音で体調を崩す人ガ多いとか。朝、表戸を開けるとユスリカの死骸の山、そんな情景を見ながらいつものように三井寺さん へ散歩に出かける。観音堂ちかくにくると、パラパラと雨音に似た音が、見上げるとシイの木より秋風に吹かれてシイの実が落ちてくる音だ。私は日吉丸と蜂須 賀小六との豆を使い、雨音に似せ小六を驚かせた話を思い出した。参道では数人の人がシイの実をなつかしそうに拾っている。そんな情景を見ながら祖母が炒っ てくれたシイの実の白い実と香ばしいにおいが思い出されてきた。 また、パラ、パラとシイの実の落ちる音がした。

2000/11/17

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